2015/07/29

『エリザベート』7/23昼 1 新演出、バンザーイ! 祐一郎がこの演出なら・・・と

@帝国劇場
エリザベート/花總まり トート/井上芳雄
フランツ・ヨーゼフ/田代万里生 
ルドルフ/京本大我 ゾフィー/剣 幸
ルイジ・ルキーニ/山崎育三郎
少年ルドルフ/大内 天

どうして私エリザのチケット1枚しかもってないんだろう(しくしく)

まぁ見ておくかとかそんな事言ってる場合じゃなかった。でもこの日見たトート閣下は私の「凍った心とかーすー♪」めろめろに溶けて、ふにゃふにゃだ!
そして花總シシィが完璧100%のシシィで、はやく会いたかった・・・!と叫びたいくらい。

とはいえ、演出のことから。
いま思えば、チラシも新演出のプランに沿ってるんだな。これまで祐一郎閣下、ウッチー閣下、武田真治閣下、石丸閣下・・・と見てきて、各閣下ごとに雰囲気も違ってたけれど、基本路線は変わらない。いろいろ思い出してみても、やっぱりずーっとトート閣下メインの流れでした。タイトルロールの存在感うすいという何故なの状態。

2015のエリザベート、ようやく! ようやくタイトルロールがタイトルロールらしい立ち位置におさまり、
トートはあくまでも<シシィの人生における「死」のありよう、つまり生き方の反映>という、本来そうであったに違いない位置に戻っています。

ちなみにウィーン版は見てないのですけど、どう考えても本来はこっちの流れの話だったかと。
それをヅカ版にした際にトートメインになり(その理由は良く分かるし、タカラヅカでは必要な改変だったと理解する)、そして東宝版にしたときに、なぜかヅカ版踏襲したってことですよね。それが大問題のはじまりなのじゃ。

それでずーっとわたし、シシィがわからない、物語どうでもいい、閣下だけ見てる、っていう観客でした。祐一郎ファンだからかもしれないけど、でも他の閣下のときだって、シシィの話だなあって思いなおした事なかったもの。

だって、彼の名前は「死」って訳したのにね・・・死神、であり、死、という<概念>なのよね? だからこそ、シシィが拒否するときに勝手に連れていかないのがすんなり納得なんだよな・・・

象徴的なのは、ルドルフとシシィがともに自らトートにキスすること。以前は、閣下が「いのちを奪う」という感じでキスしてました。

特にシシィがラストシーンで「泣いた笑った・・・私は命ゆだねる それは 私だけに!」の歌詞からしても、生き切った、人生を全うとしたのだ、という自負があればこそ悔いなくトートにキスできたというほうが、まさにエリザベートの人生を見せてもらったことになります。
わたしだけに!って歌った次に、不可抗力的に死のキスを受けるって、ちぐはぐですよね? シシィと閣下は気持ちが通じてなさそうだなぁって思ってたんだよー。

脱線するけど、この時の芳雄トートの表情が素晴らしいのね! あの表情みたら、今まで私が想像してたようなこと(→閣下はシシィを黄泉の国に連れて行ったら興味なくして、もう彼女への愛はぽいしちゃうだろう、等々)が、的外れだったと気づかされます。そんな下世話な話じゃなかったんだぜー。

たぶんトートは死への入り口、鍵みたいなもので、生を全うしたシシィは天国へと旅立つけれど、生者と死者の合間にいる閣下はそこへは行けない・・・んじゃないかな? 
無表情とも違うんだけど、感情が読み取れないような透明な表情してて。セツナイ!

自らキスするってことは、もう死は要らないってことだから、トート閣下の存在感も薄れていくのだなぁと思ったの。

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